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2016年 6月 09日(木曜日) 10:52

嫉妬について

嫉妬って、私はあんまりしない方です。

自分の人生は「自分にとっては」

一番だと思っているからです。

それでもたまに

ああ、この人羨ましいは~

って思うことあります。

キレイな人、背の高い人を見れば、

当然いいな~と思うし。

 

あと、たとえば日常的な例だと・・・

夫はいつも何もしないうちに

洗濯物がきれいになっていたり、

部屋が掃除されていていいなぁ

私ばっかり・・・

・・・と思ったり。

しょっちゅう旅行に行ける人は、

自由でいいな~と思ったりします(笑)

でも本当にそうしたければ、

なんとか都合をつけて、

自分もすればいいだけのこと・・・

だって・・・だからー

と、そこで言い訳をしている自分を、

少し離れて観察してみると。。。

それは自分が確かに選んでいることなので、

仕方ないや・・・と思えます。

結局はそうしたいんです。

誰かの犠牲になっている・・・

と思っても、その相手を見捨てることができない、

それは自分ができないわけです。

誰かの犠牲になってる・・・

という感覚も嫌なので、それはやっぱり。

自分が選択しているんだ、ということです。

 

前置きが長くなりましたが、

親しくしている尼さんにいただいた本の中で、

「嫉妬」について、面白い表現があったので、

皆さんにもご紹介したいと思いました。

 

『法華経信仰の要諦』(鄕修院日基・著)

嫉妬は怒りの変形です。

怒りのように直接的に攻撃できないとき。

嫉妬という形になります。

この嫉妬はやっかいな感情で、

嫉妬を認めることさえ苦痛に感じられる感情です。

なぜなら、嫉妬は事実上敗北しているにもかかわらず、

自分の敗北を認めたくないために強化される思いだからです。

嫉妬の炎に焼かれない人は殆どいないでしょう。

人から羨まれる立場にいる人には

嫉妬はないと思うのは勘違いです・

この感情は下の立場であれ、

上の立場であれ、

等しく私たちの心に巣くっています。

なぜならエゴは他人の倖せ、

特に自分がまだ得ていない倖せを

脅威に感じるようにできているからです。

私たちの心がいかに狭いものかを、

教えてくれるのも嫉妬です。

自分は無力であり、

自分は価値のない人間であるという

強い思い込みを捨てて、

人は全てその本質において同じであり、

自分が羨む対象は本来自分にも具わっており、

嫉妬する相手との差異は、

魂の転生の歴史と今世果たす使命の相違から

生まれているに過ぎないと信じて、

嫉妬心を相手の個性を喜ぶ心に

変えていかねばなりません。

私たちが相手を怒り、恨み、憎み、嫉妬してしまうのは、

自分の人生が関わる相手によって、

大きく影響を受けると思っているからです。

しかし真実には自分の人生を左右しているのは、

自分以外にはいません。

なぜなら、自分の経験することはすべて

自分の想念が招いたものだからです。

(続く)

 

☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡

 

自分は無力であり、価値のない人間であるという

強い思い込みを捨てて・・・・

 

というところが大事だと思います。

小さい頃から親やまわりの大人達、社会によって、

「あなたは無力である」

とたたきこまれてきたような気がします。

そうではないことに気が付き、受け入れて、

そして本当に感謝できたら。

誰にもどんなことにも左右されない、

いつも平和で幸せでいられるのかもしれません。

 

最終更新日: 2016年 6月 09日(木曜日) 17:00

マシュマローの日記